勝負事をしていると、いつも思う。
勝利を確信してはいけないと。
特に、トレードしているとき。しかも、勝っているときにこそ。
勝っているだけで、勝ったわけではない。
まだ、何も終わっていないのである。
まだ勝負は終わってはいない
今、勝っている。負けている。
そんなものは関係ない。
勝っていても、負けていても、まだ勝負の最中であることに変わりはない。
1回のトレードで怒りのスイッチが入るのがFX。
1回のトレードでその日の勝ち分がなくなるのがFX。
1回のトレードで年間の稼いだ分がなくなるのがFX。
1回のトレードで退場するのがFX。
そんな環境下にいることを忘れてはいけない。
テレビを見ながら。動画を見ながら。スマホゲーをしながら。家族と話しをしながら。
まだ、相場というリスクのある環境下にいながら、勝ちを確信し油断してしまう。
これは、自分自身への戒めでもある。
ミスは偶然ではなく必然である
ほとんどのミスは必然であると思う。
FXでもそうだが、仕事をしていてもミスは必然から生まれている。
慢心。危機感のなさ。負荷の集中などいろいろ挙げることができるが、ミスというのは人の感情から生まれるものであると感じる。
その感情も、自分自身の問題、組織の問題、人間関係の問題など複雑に絡み合ってある。
特に、上層部の楽観視からくる下層部のミスは許しがたい問題だと思う。
だいたい、そういう上層部は現場の問題を見ていないことが多い。
上がってくる数字は見ているが、数字の内容の根本的問題を見ようとしていない。
つまり、現場から遠のいている。
FXでもそうだが、トレードしていないと確実に勝負勘や感覚はにぶる。
それは、仕事でも同じことだ。
動けない、動こうとしない。口から話した言葉だけがただ組織内でウロウロするだけ。
これでは、必然なミスはなくなることはなく、勝利さえも得ることはできない。
何を持って勝利なのか?
FXをしていると、完全に勝利したという気持ちになることはほとんどない。
例え、1分で数万円稼げたとしても。例え、1日で数十万円勝ったとしても。
その理由は簡単で、明日もトレードするからである。
1日で月給分稼げれば勝利なのか?
1ヶ月で数百万稼げれば勝利なのか?
年間で数千万稼げれば勝利なのか?
いや、勝利ってそういうもんではないと思う。
勝利とは充実感である
勝利という言葉。
スポーツ。投資。仕事。
それぞれ、使う場面がある。
勝つことはもちろん勝負する以上、最も大事である。
ただ、思うことがある。
今、十分なお金を手に入れたとしても、充実感を得ることができるのか?
難しい問題である。
お金で自由は手に入れることはできる。
ただ、お金で得られる充実感は一時に過ぎない。
お金を稼いで何をしたいのか?
相場の世界にいる者として、これをはっきりさせる必要があると感じている。
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